ノーパンが常識だった!?明治・大正の女性下着事情とは

毎日当たり前のように身につけている「パンツ」。でも、ふと疑問に思ったことはありませんか?「昔の日本の女性は着物の下になにを履いていたんだろう?」「いつから今の形になったの?」と。実は、日本で女性がパンツを履くようになったのは、歴史の長さから見ればつい最近のことなのです。この記事では、意外と知らない女性用パンツの歴史を紐解きながら、現代の下着選びがもっと楽しくなる豆知識をお届けします。

日本の女性はいつからパンツを履き始めた?

江戸時代までは「ノーパン」が当たり前だった理由

現代の感覚からすると驚くべきことですが、江戸時代までの日本の女性は、着物の下にいわゆる「パンツ」にあたる下着を履いていませんでした。これは決して恥ずかしいことではなく、着物の構造上の理由が大きかったのです。着物は筒状の衣服であり、帯でしっかりと体を固定するため、股間を覆う布がなくても足さばきに問題はありませんでした。むしろ、排泄の際に着物を汚さないためには、何も履かない方が合理的だと考えられていたのです。当時の女性にとって、股間を布で覆うことの方が「不自然」で「動きにくい」と感じる文化がありました。

腰巻(湯文字)という日本独自の下着文化

パンツを履いていなかったとはいえ、全くの無防備だったわけではありません。当時の女性は「腰巻」や「湯文字(ゆもじ)」と呼ばれる布を腰に巻きつけていました。これは現代でいうスカートタイプのペチコートのような役割を果たしており、着物の裾が足にまとわりつくのを防いだり、冷えを防止したりする目的がありました。特に湯文字は吸水性の良い木綿などで作られ、生理の際にも役立っていました。これらは「覆う」ものではなく「巻く」ものであり、現代のパンツとは根本的に概念が異なる、日本独自のアンダーウェアだったのです。

明治・大正時代:西洋化と「ズロース」の登場

上流階級から始まった洋装と下着の導入

明治時代に入り文明開化の波が押し寄せると、皇族や華族といった上流階級の女性たちの間で洋装が取り入れられ始めました。ドレスを着るためには、コルセットやドロワーズ(ズロース)といった西洋式の下着が必要不可欠です。鹿鳴館などで舞踏会が開かれるようになると、彼女たちは長い丈のズロースを身につけるようになりました。これが、日本女性が「二股に分かれた下着」に触れた最初の出来事と言えます。しかし、これはあくまで一部の特権階級の話であり、一般庶民の生活は依然として着物中心でした。

一般庶民には普及しなかった初期のズロース

大正時代にかけて女子学生の制服として袴や洋服が普及し始めると、活動的な女性たちの間で少しずつズロースの認知度は上がっていきました。しかし、当時のズロースは綿やメリヤス製でダボっとしており、股上が深く、着物の下に着るとゴワゴワしてトイレも不便だったため、一般の女性からは敬遠されていました。「西洋かぶれ」「ふしだら」といった偏見も根強く、多くの女性は依然として腰巻スタイルを貫いていました。パンツが「誰もが履くもの」になるには、まだ少し時間が必要だったのです。

日本の下着史を変えた転換点「白木屋ズロース伝説」

1932年の白木屋百貨店火災で何が起きたのか

本の下着史を語る上で避けて通れないのが、昭和7年(1932年)に起きた日本橋・白木屋百貨店の火災です。この火災の際、高層階に取り残された着物姿の女性店員や客が、避難用のロープや救助隊員の手を掴んで降りようとしました。しかし、下着を履いていなかったため、裾が乱れて下半身が見えてしまうことを恥じらい、裾を押さえようとして手を離してしまい、転落死した人が多かったと報道されました。この話の真偽については諸説ありますが、当時の社会に与えた衝撃は計り知れないものでした。

「命を守るためにパンツを履く」という意識改革

この悲劇的な火災をきっかけに、「着物の下にもズロース(パンツ)を履くべきだ」というキャンペーンが社会全体で巻き起こりました。当時の婦人会やデパートは、マナーとして、そして何より「女性の命を守るため」に下着の着用を推奨しました。これを機に、着物でもトイレに行きやすい股割れ式のズロースや、動きやすい下着の開発が進み、日本女性の間に「パンツを履く」という習慣が一気に定着していったのです。ファッションとしてではなく、防災と羞恥心から普及した点は、日本独特の歴史と言えるでしょう。

戦後から昭和へ:ナイロン革命とパンティの普及

アメリカ文化の流入と「パンティ」という呼称

第二次世界大戦が終わると、アメリカ文化が日本に大量に流入しました。これに伴い、それまで「ズロース」と呼ばれていた下着は、より洗練された「パンティ(パンティー)」という呼び名へと変化していきます。デザインも、ダボついた長めのものから、股上が浅くフィット感のあるブリーフ型へと進化しました。洋服が日常着として定着するにつれ、スカートやズボンのシルエットを邪魔しない、コンパクトな下着が求められるようになったのです。

丈夫で乾きやすいナイロン素材が起こした革命

1950年代に入ると、化学繊維「ナイロン」が登場し、下着業界に革命を起こしました。それまでの綿素材は肌触りは良いものの、乾きにくく型崩れしやすい欠点がありました。一方、ナイロン製のパンティは薄くて丈夫、洗濯してもすぐに乾き、伸縮性も抜群でした。さらにレースなどの装飾もしやすかったため、女性たちは機能性だけでなく「見た目の美しさ」も下着に求めるようになります。ここから、下着は単なる衛生用品からファッションアイテムへと進化を始めました。

デザインの多様化:1970年代〜バブル期

ミニスカートブームが生んだ「見えてもいい」意識

1960年代後半から70年代にかけて、ツイッギーの来日などをきっかけに空前のミニスカートブームが到来しました。丈の短いスカートを履くためには、今まで以上に見えても恥ずかしくない、あるいは「見せパン」として機能するような可愛いデザインの下着が必要とされました。これにより、プリント柄やカラフルな色使いのショーツが爆発的に普及。下着選びがファッションの一部として確立された重要な時期です。

海外ブランドの流入とセクシーなデザインの登場

バブル期に向かう80年代には、海外の高級ランジェリーブランドが日本市場に参入しました。それまでの「清潔感・機能性」重視から、「セクシーさ・大人の魅力」を演出するアイテムとしての需要が高まりました。ハイレグブームの影響で、脚ぐりを深くカットしたデザインが流行し、女性のボディラインをより美しく見せるためのカッティング技術が飛躍的に向上しました。女性自身が自分のために下着を選ぶ楽しみを知った時代とも言えます。

平成から令和へ:機能性と多様性の時代

ヒップハング、Tバック、サニタリーの進化

平成に入ると、ローライズジーンズの流行に伴い、股上の浅いヒップハングショーツが定着しました。また、アウターにラインが響かないTバック(ソング)も、一部の愛好家だけでなく一般的な選択肢として広まりました。同時に、女性の社会進出が進む中で、生理用品と一体化したサニタリーショーツの機能も劇的に向上。防水布や消臭機能など、快適に過ごすためのテクノロジーが詰め込まれるようになりました。

締め付けない「ふんどしパンツ」や吸水ショーツの台頭

そして令和の今、注目されているのは「フェムテック」や「ボディポジティブ」の視点を取り入れた下着です。リンパの流れを阻害しない「ふんどしパンツ」や、ナプキン不要の「吸水ショーツ」など、女性の健康や環境への配慮を最優先した新しい形のパンツが登場しています。かつては「隠すため」「マナーのため」だったパンツが、今では「自分の体をいたわるため」「より自由に生きるため」のツールへと、その役割を変え続けています。

まとめ

いかがでしたでしょうか。今回は「女性のパンツの歴史」について、江戸時代から現代までの変遷をご紹介しました。

かつては「履かない」ことが当たり前だった日本。しかし、白木屋火災という悲劇や、戦後の西洋化、そしてファッションの進化とともに、女性の下着は劇的な変化を遂げてきました。それは単なる布切れの進化ではなく、女性がより活動的に、より自由に、そして美しく生きるための試行錯誤の歴史でもありました。

現代では、デザインの美しさだけでなく、履き心地や健康面を重視した多種多様なパンツが選べる時代です。歴史を知った上で改めて今のご自身の下着を見てみると、そこには先人たちの知恵と技術が詰まっていることに気づくかもしれません。

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